歴代校長回想録8|会報「紺青」バックナンバー


思い出すままに

第八代校長・佐々木幸夫=「紺青」第10号(1998年9月発行)掲載

早いもので七里ガ浜高校を離れて1年3ヶ月が経とうとしています。大通りの賑やかな雑踏を通り抜け、静かな横丁をほっとして歩いているような生活を毎日おくっています。県立教育センターの第一研修室英語科に勤務して2年目に入りました。七里ガ浜高校には校長として在職いたしましたのは2年間ではありましたが、それ以前の教員生活を含めますと合計12年間お世話になりました。本当に長い間ありがとうございました。

思い起こしますと、私が初めて七高に転任してまいりました時には一期生が3年生のときで、赴任と同時に三期生の担任になりました。その当時は各学年4クラスで、北棟がまだ完成していませんでしたので、全生徒が海側の南棟におりました。1年の教室も現在のコンピューター教室が二つに仕切切られ使用していました。出入口が西側に一カ所しかないので、毎時間隣のクラスを通って出入りしていた記憶があります。しかし、生徒たちはあまり苦にもせず、明るくのびのびと生活していました。明くる年にグランド側の北棟が完成し、皆で机や椅子を持って北棟の教室へ移動したのが、つい昨日のように思い出されます。各学年4クラスですので、学校も大変家庭的な雰囲気で生徒はよく職員室に来てくれました。ほとんどの生徒の名前を先生方は学年を越えて覚えてしまうという理想的な学校でした。先生方も生徒一人ひとりを大変大事にしていました。そのような生徒と先生の心の結びつきは今の七高の中にも続いているような気がいたします。比較的自由な雰囲気の中で生徒たちは日々の学校生活を送り、学校行事等の時には大いに燃えましたが、勉強にも熱心でけじめを持った生徒が多かったような気がいたします。

これは全く個人的な話になりますが、三期生が3年生のとき我が家では結婚15年目にして初めて子供(長男)に恵まれました。早速クラスのアルバム委員の生徒たちが我が家にやってきて、卒業アルバムの中に長男を抱いた写真がのってしまいました。この長男も今年彼らと同じ高校3年生になりました。何か不思議な思いがいたします。長男の言動を見ていると、当時の生徒たちの気持ちも初めてよく分かるような気がいたします。

さて、先ほど申し上げましたように七高に私が校長として在職いたしましたのは2年間という短い期間ではありましたが、教育にとって大変大事な年でありました。生徒が年々減少し、教育もかつての量の時代から質が求められる時代となりました。それに伴いさまざまな教育改革の集大成とも言うべき入試制度の改革の時期でもありました。ご存知のように、各高校はその学校の特色に合わせて独自の尺度で半数近い生徒を入学させることができるようになり、七高でも先生方はいろいろ知恵を出し合って立派な入試選抜の基準をつくってくれました。そして、教頭先生をはじめ、入試選抜委員の先生方と教務部の先生方が中心となり、7月の暑い中を学区内の全中学校を回り七高の新しい入試選抜基準を説明し、また、七高を希望する全受験生の中学生を学校に招き、一同に集めて説明するのではなく、数日を朝から夕方まできめ細かい時間帯に分けて、四~五十名ずつ冷房のきいたコンピューター教室で懇切丁寧に説明してくれたのも、つい昨日のように思い出されます。私は素晴らしい教頭そして先生方に恵まれ、本当に幸せでした。思い出すままに思い出の一端だけを書きました。

皆さんの心の故郷であると共に、私の心の故郷でもあります七里ガ浜高校のますますの発展を心から願ってやみません。

●ささきゆきお=1978年4月より88年3月まで英語科教諭として、95年4月より97年3月まで校長として、計12年間七高在職