歴代校長回想録1|会報「紺青」バックナンバー


思い出すこと

初代校長・川畑 満寿雄  =「紺青」第2号(1990年7月発行)掲載

昭和四十二年頃から、夏休みになると毎年のように七里ガ浜にあるプールに泳ぎに行っていた。海のすぐそばの、大きな気持ちの良いプールだった。のちに新校舎の予定地として案内されたのはその隣の場所だったので驚いた。不思議なめぐり合わせと思ったことを今でも覚えている。

昭和五十一年の夏、新校舎建設のための縄張りや杭打ちが始まった。同居していた鎌高から、暇を見つけては先生方と工事の進行具合を見に行った。設計図の上だけで想像していた建物が、次第に姿を現してくるのを見るのは何よりの楽しみであった。それまで設計図というものを見たこともなく、最初のうちは図面を見てもどこがどうなっているのか全く分からなかったが、そのうちにだんだんと見方が分かるようになって楽しみが増えた。

翌年三月末の校舎引き継ぎの日は朝から激しい風雨であった。引き継ぎが始まったのは夕方で、教頭先生、事務長さんと建物の中を隅々まで回り、外回りが終わった頃には膝から下はびしょ濡れになった。「それでは、あとよろしくお願いします。」と、ずっしりと重い鍵束と表紙の付いた分厚い設計図を渡された。身の引き締まるような緊張感のあと、自分たちの校舎が出来たという嬉しさが沸いてきた。生まれて初めての経験であった。

四月には体育館工事も着工され、十二月のある日に行ってみると床張りの工事をしていた。体育館の床がどういう構造になっていて、どのようにして床を張るのかが分った。館内で力一杯走ったり飛んだり出来るように工夫がしてあり興味深かった。体育館や格技場の建設にあたっては、岩田先生が次々に素晴しい着想を出して下さって、県下でも出色の体育施設になった。体育科の先生方の熱意には、いつも頭の下がる思いがした。

やがて第一回の卒業式の日が来た。鎌高の4教室を借用して迎えた一期生を、真新しい体育館で送り出すことが出来たのは大きな喜びであった。卒業証書を手渡しながら、開校以来の三年間のことが思い出された。どのひとつをとってみても、忘れることの出来ない、二度とない貴重な体験であった。

●(かわばた ますお=七高設立告示時の1976年1月より79年8月まで3年8ケ月間在職)