神谷先生より挨拶|会報「紺青」バックナンバー


机の中は空、教室は宇宙

元国語科教諭・神谷光信=「紺青」第10号(1998年8月発行)掲載

この春、七高を去りました。わたしは七高の一期生です。教育実習も七高でさせていただきました。大学卒業と同時に着任した平塚西工業技術高校から三年後に七高に異動して、この三月まで十一年間勤務しました。

書物を別とすれば、多くの人々との関わりのなかで自分という人間が育てられたとの思いを深くします。十代後半から二十代にかけ、七高を舞台に、生徒、教育実習生、教師と社会的立場を変えながら  つまりは小さな死と新生を反復しながら、わたしという人間が形成されてきました。とりわけ、七高生の頃に夢見たことや決意したことなどが、その後の人生に大きな影響を与えています。たとえば、世の中には相手によって態度がまるで違う人がいますが、社会的地位に関係なく誰にでも同じ敬意をもって接することは高校生の時からのわたしのモットーです。また、わたしは文学がたいへんに好きで、十年かけて、ある詩人の分厚い評伝を書きましたが(「鷲巣繁男」というタイトルで、小沢書店から年内に刊行予定です)、こうした仕事も、高校生のときに夢見たことのささやかな達成です。

憶い出されることはたくさんありますが、新学期を迎え、自分が担任をするクラスに朝早く出かけ、がらんとした教室でひとりひとりの机をまっすぐに並べた時のことや、卒業式を終えた後の誰もいない教室で長い時間たたずんだ情景など、なぜかひとりの情景ばかりが胸に浮かんで来ます。定期試験期間中の、ある情景を、印象深く覚えています。夕方、教室に戸締まりに行った時のことです。黒板に詩が書かれていました。「机の中は空、教室は宇宙」わたしは啓示的な感動を覚え、その場に立ち尽くしました。よく見ると、「不正行為はしないこと。机の中は空に」という教師の注意書きを巧みに利用した悪戯でした。しかし、わたしはこの言葉によって、教室というものに対して抱いていた固定観念が揺さぶられ、世界が一瞬、変貌するのを垣間見たのです。この時の体験をわたしは大事にしています。

生徒諸君の顔を思い出すと、満足よりも後悔の方が多いのですが、母校で教師をし、同窓会活動に関われたことを光栄に思います。二回の卒業生を出したことと、会員名簿の発行などで同窓会活動の基礎を築いたこと、これらで七高への自分の使命は果たしたと思います。

四月からは、県教育庁生涯学習部に籍を置き、文部省の外局である文化庁に出向しています。教育・文化行政を、学校現場からではなく、国家的観点から考えねばならない職場です。教師から事務官へと社会的身分が変わり、わたしは小さな死と新生を体験しました。これは人生の折り返し地点に立ったわたしが、より重い課題を背負ったことを意味しています。七里ガ浜高校との別れという出来事を、そんなふうに理解しています。

●かみやみつのぶ=1979年3月卒業・1期生。1987年4月から98年3月まで11年間七高在職。88年11月より97年10月の間に七高同窓会の会計、副会長、会長代行を歴任。現在、横浜旭陵高校教諭