卒業生インタビュー|小池知己さん(サッカー)


小池知己(こいけともき)さん

七高時代、サッカー部副主将としてチームを高校総体(インターハイ)に導き、卒業後Jリーグ・FC東京などで活躍、現在FC東京及び明治大学のコーチを務める。

●経歴
1974年11月10日生まれ、幼少期の3年間を父親の勤務地のペルーで過ごす。
1990年 鎌倉市立深沢中学校卒業、七里ガ浜高校入学。
1992年 副主将として県大会で優勝し七高サッカー部を初の高校総体(インターハイ)出場に導く、宮崎県で開催された本大会ではベスト16。同期生で主将の米山智さん(翌年Jリーグ・横浜フリューゲルスに入団)と共に県の国体代表選手にも選出。冬の選手権県予選ではベスト4。
1993年 七里ガ浜高校卒業。㈱東京ガス入社、社員選手としてJFLリーグで活躍。
1999年 チームがFC東京となりJ2リーグに参加、七高卒業生で3人目のJリーガーとなる。J2リーグで22試合に出場し2得点。チームの2位、翌年のJ1昇格決定に大いに貢献する。
2000年 レギュラー選手としてJ1でリーグ戦27試合に出場し2得点、チームは年間総合7位。
2001年 シーズン途中でJ2の水戸ホーリーホックに期限付き(レンタル)移籍。
2002年 東京ガスを退社してJ2(当時)の湘南ベルマーレに移籍、プロ選手となる
2003年 J2の水戸ホーリーホックに移籍。この年のシーズン限りで引退。現役でのリーグ戦での通算成績は11年間で122試合出場、4得点(うちJ1では27試合2得点)。
2004年 FC東京U-15育成部(U-12育成担当)及び普及部のプロコーチとなり現在に至る。
2009年 FC東京と明治大学体育会サッカー部のコーチ派遣に関する業務提携により、同部の主にBチーム(2軍)担当のコーチを兼務。同年度の天皇杯では大学生チームとして史上初めてJ1のチーム(モンテディオ山形)に勝利し、また第58回全日本大学サッカー選手権では51年振りに優勝するなどの明治大学サッカー部の飛躍を陰から支える。
2010年の今シーズンは11月に第84回関東大学サッカー1部リーグで3年ぶり3回目の優勝を果たし、更に全日本大学サッカー選手権での連覇を目指している。

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2010年9月14日、明治大学八幡山(はちまんやま)グラウンドにてお話を伺いました(写真も)

●七高入学から卒業まで

サッカーは小学校1年からずっとやっていましたが、中学3年時に志望校決定に当たってはサッカーの強い高校とかいうことは特に意識せず、周りの同級生と同様にいわゆる内申書や偏差値で決めました。私立高との併願はしませんでしたが、中3の時に七高に学校見学に行ったりということもありませんでした。

無事入学して、やはりずっとやっていたサッカー部に入部。それまでの七高サッカー部の成績なども知らなかったのですが、入って最初の大会である関東大会でベスト8まで行き、かなり強いということと、顧問の先生がやけに熱いなぁということがまず印象に残りました。

結局1年時はインターハイベスト32、選手権ベスト16。2年時は1学年上の太田雅之さん(その後Jリーグのモンテディオ山形に入団、現在同チームのジュニアユースコーチ)を中心に関東大会は代表決定戦まで、インターハイはすぐ負けてしまいましたが、選手権はベスト8と、確実にチームが強くなっていくのを感じました。

3年となって副主将としてインターハイの県大会で優勝し、宮崎県での本大会に出場できたのはやはり一番の思い出です。(2回戦からの登場で)1勝して16強入り出来たことは勿論嬉しかったのですが、続く3回戦では同点のまま延長になり、そこから5点取られて負けてしまったという悔しい思い出もあります。

またサッカー部ではない同級生の2,3人がバイクで何泊もして列島横断して(往復のどちらかはフェリーの利用だったかもしれません)、宮崎まで応援に来てくれたことも忘れ難いです。

冬の選手権の予選では大本命の桐蔭学園高に準決勝で大敗してしまい高校最後の試合となったのですが、あまりの大差に泣けなかったことを覚えています。でも次に向かって、という感じで、3年間を振り返るとインターハイにも出れたし満足感というものもありました。

高校時代の先生で一番お世話になったのはやはりサッカー部顧問の高梨淳一先生(保健体育科教諭)です。小・中学校のチームはそれ程厳しくなかったということもあり、厳しかった、よく怒られたという印象が強かったのですが、先生の基準がすごくしっかりしていたので、こういうことはやっていい、これは駄目というのがはっきりしていて、そういうのがあると学生はこれ位だったら大丈夫とかこれは駄目だろうという判断がついたのはすごく良かったと思います。

部活以外では、勿論運動会も七高祭も参加はしましたが、改めて思い出すようなエピソードは特に残っていないというのが正直なところです。それもサッカーに打ち込んだ3年間の印象が強かったからだと思います。

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「高校総体出場記念誌」サッカー部父母会発行、と「記念のテレホンカード」(管理人所有)

●卒業後の進路

高校卒業後の進路決定に際しては、最初は周りと同じく大学進学を考えていて、明治大学サッカー部のセレクションも受けたのですが落ちてしまい、一時はサッカーを離れて一般入試で大学を受けようかと考えたりもしました。改めて考えるとそれ程大学で勉強したいとか、大学サッカーでやりたいとも思わなくなり、顧問の先生の勧めもあり、また施設の良さにもひかれて当時JFLリーグのチームであった㈱東京ガスの練習に参加をし合格をもらって入社しました。

引退してから思い返してみると、必ずしも選手寿命が長いとは言えないこの世界で11年間プレーし、J1という日本のサッカーリーグの頂点でプレーが出来て、主に守備的ポジションでしたが通算4得点した、などいい思い出がたくさんあります。

●現在、そして今後

引退後すぐにプロコーチとなり現在7年目です。いわゆるコーチの資格(日本サッカー協会指導者ライセンス)は現在B級で、勿論さらに上を目指していますが、特に目標を1つに決めるのではなく一通り色々なカテゴリー(年代)を見て、自分が今後どうしたいのかを見つけていきたいです。

現在大学生をコーチする際にも、先程も触れましたが高梨先生指導で一番印象に残っている基準作りをしっかりするということを第一に心掛けており、七高時代の経験が現在に生きている好例だと思います。

七高時代の仲間との交流としては、今でも正月にサッカー部の同級生と高梨先生に指導を受けた位までの世代の後輩達とフットサルを楽しんでいますし、現在も実家は七高の近くにあるので、たまに七高正門前の坂を通ったりすると懐しい気持ちになります。

●七高の素晴らしさ

改めて自分の高校時代を振り返ってみると、中学時代に比べて世界も広がりましたし、景色がいいのは言うまでもないのですが、それ程厳しい学校ではなかったので勉強・スポーツとやりたいことをやらせてくれて、思いきって青春できたので、また帰って来たい場所であり、あの高校で良かったなと何年経っても感じられる学校です。

また現在FC東京の育成コーチと兼任で明治大学のコーチにもなったのは、現在の明治の監督が鎌倉高校出身ということで自分のことは高校時代から注目し、インターハイも宮崎で直接観戦してくれていたり、その監督のお兄さんが七高卒業生でその方からも自分のことを聞いていたなども決め手の一つとなったそうで、この点からも高校を卒業してかなりの年月が経ってからもその縁が生きる事の有難さを感じます。七高はそういった人間関係を広げていく場としても素晴らしいと思います。

●小池さん在学中の七高サッカー部監督だった高梨淳一先生の話

第84回関東大学サッカー1部リーグ優勝おめでとう。私は現在、藤沢清流高校でサッカー部の指導をしていますが、大清水の卒業生が一大勢力となっている神奈川大学と、鎌高出身の神川とペルー(小池)が指導している明治大学両方を応援していました。

残念ながら神奈川大学はリーグ8位で終わってしまいましたが、明治大学が3年ぶりの優勝をぶっちぎりで勝ち得たことは本当に嬉しい限りです。まもなく始まる大学選手権でも優勝を期待しています。

さて、七高時代のペルー。いつも前向きの人生を送っているので遠い昔のことをよく覚えていないが、怒られるところにペルーはいつもいたように思う。要領が悪いというか正直というか、でもみんなの代表であったことは確かです。

桐蔭、桐光を破り神奈川制覇を果たしインターハイに出場できたのも、そんなペルーのチームをまとめる力(汚れ役として)があったからかなと思う。もちろん、当時のメンバーをはじめ、OB、スタッフ、学校の職員、保護者、多くの力を頂いた結果であることも忘れてはいけない。

現在、大学サッカーの指導者としてサッカーのキャリアを積んでいるペルー。代表やJリーグが注目されるサッカー界にあって、それでも大学サッカーの役割は大きい。指導者としてさらに大きくなり、 On The Pitch、Off The Pitch両方で通用するサッカーマンを育ててほしい。今後の活躍を陰ながら応援しています。

※高梨先生は1980~94年度の15年間七高保健体育科教諭。現在は藤沢清流高校(藤沢高校と大清水高校が統合されて本年4月開校)教諭。

●明治大学体育会サッカー部・神川明彦監督の話

2009年のシーズンから従来の東京ヴェルディに加えて業務提携を新たに結んだFC東京には若手コーチが沢山いるのですが、特に2軍チームを担当するコーチを決めるに際して小池知己君の名前が挙がりました。それは私の兄も七里ガ浜高校のOB(3期生)でそのサッカー部の強さも知っていて、私自身宮崎でのインターハイを直接観戦に行っており、その後彼が明治大学サッカー部のセレクションを受けた際に知り合っていたという縁がありました。その後、彼の東京ガスの試合もよく見に行っていましたし、その人となりは良くわかっていたということで、派遣コーチとして彼にお願いしました。現在2軍チームが出るインディペンデンス・リーグ(Iリーグ)というのがあり、こちらのチームを見てもらっています。

私の目から見てもサッカーに対する情熱や、選手一人一人に対する思いやりや、明治大学サッカー部に対するロイヤリティー(忠誠心)だとかは申し分ないです。同じ湘南地区・鎌倉市で育ったからなのか、自分に近いものを感じますし、それは単純に熱さっていう部分ではすごくエキサイトしますし、1つ1つのプレーに対して高い集中力を求めてコーチングしている姿を見ると、本当に熱いという表現がぴったりのコーチです。

その一方で、ピッチを離れた場さらにはコーチングの中でもユーモアがありますし、一人の青年として人柄の良さも感じさせます。選手との付き合い方がすごくきめ細やかで、練習が終わった後も1人1人つかまえて話し込んでいる姿が日々見られ、それが小池流指導法なのかなと思います。私は監督という立場上、個別に選手とは殆ど話さないのでその部分を補ってくれてもいます。

それは一つには彼はかなり長い間現役でプレーしたわけですが、その間レギュラーとして常に試合に出ている立場は余り長くなくサブでいることが多かったと聞いているので、そういう選手の気持ちとかだからこそやらなければならないことが良くわかるんだと、そういうことを彼らに伝えたいとよく言っているので、現在の2軍を担当してもらうのにはうってつけの人材です。

選手からも勿論本当に信頼されていますし、彼の物真似をする選手もいるぐらいです。昨シーズン、優勝した大学選手権や大学チームとして史上初めてJ1チームに勝った天皇杯などでは彼が育てて1軍に上げた選手がたくさん活躍してくれましたし、逆に彼のところに落として鍛え直すといったこともあります。

彼がチームに与えている影響は本当に大きく、将来的には1軍(トップチーム)の方を担当して頂くことも充分にありえます。

※神川監督は県立鎌倉高校時代にインターハイ、高校選手権出場。明治大学政治経済学部卒業。明治大学職員。1994年明治大学サッカー部コーチに就任し、2005年から監督。07年には長友佑都選手(2010年ワールドカップ南アフリカ大会日本代表)らを擁し43年ぶりに関東大学リーグ優勝。

●HP管理人より

インタビューと構成は明治大学卒業生でもある私が担当しました。

長時間のインタビューに応じて下さった小池さん、及びコメントを寄せて頂いた高梨先生と神川監督、小池さんへの取材を許可して頂いた東京フットボールクラブ㈱広報部様には心よりお礼申し上げます。またインタビューから当HP掲載までにかなり時間がかかってしまったことをお詫びします。

従来同窓会HPの内容は七高の行事の様子などが主でしたが、1万2千人を越える卒業生の皆さんの各方面での活躍ぶりも今後は積極的にお伝えしていきたいと思い、今回小池さんにご登場頂きました。

今年1月、初めての大学サッカー観戦として国立競技場での大学選手権決勝に行き約半世紀ぶりの快挙を見ましたが、それに七高卒業生の方が大いに貢献されていたということは二重の喜びでした。

18年前の七高サッカー部のインターハイ初出場に際しては同窓会として全卒業生に対して寄付を呼びかける文章を郵送し、ほぼ半月の間に約700名の方から200万円近い額が寄せられたことを良く覚えていますが(1992年8月発行の同窓会会報「紺青」第4号参照)、今後も七高の各部活動において全国レベルの舞台に登場する機会があることを大いに期待しています。