離任の挨拶|会報「紺青」バックナンバー


昔を振り返って

元国語科教諭・吉田謙一=「紺青」第2号(1990年7月発行)掲載

風光明媚な七里ガ浜に高校が誕生してはや15年。年月が経つのは本当に早いものである。私がこの高校に入学した頃が悠久の昔のように感じられる。 私たち2期生が入学した年に現在の南棟校舎が完成し、間借りしていた鎌倉高校から独立、新たな一歩を踏み出したのだった。新設高校を一人前の高校にしていくためには、先生・生徒ともに大変な努力を必要とする。しかし、学生であった私は、ゼロから出発し、一つ一つ基礎となる土台を築き、素晴しい高校を作るということがどんなことなのか全く考えていなかった。ただ、毎日の高校生活を充実させようと日々を過ごしていたような気がする。

そんな高校生活の中で、施設に対する不満は強く印象に残っている。入学した1年目は、建物といえば南棟校舎のみで、現在あるような体育館・グラウンド・北棟といった立派な施設はなかった。確かに卒業するまでには、次々と施設は完成していったが、現在の状況を見ると羨ましいと思わずにはいられない。私は高校時代、バレーボール部に所属していたので、体育館がない1年次はかなり苦労をした。屋内練習をするためには、中学校の体育館を借りなければならなかったが、彼らの部活が終わるまで待たなければならず、練習開始はいつも午後6時だった。練習を終えて帰宅すると9時半を回る日も少なくなかった。あの頃は皆、体育館完成を心待ちにしていたものだ。

施設不備が大きく影響してくる体育の授業も、忘れることのできないものの一つである。現在も授業で砂浜を使っているようだが、グラウンドもない頃は何をやるにも砂浜でやるのが常だった。砂浜でのサッカー・ラクビーなど夢中になってやったものだ。初めて稲村ガ崎まで砂浜を走ったときの疲労と充実感が今でも懐しい。

こういった経験は、今となっては自分の財産である。人間の一生の中で、楽しい経験は良い思い出となり、苦労し、努力した経験は、自分自身を成長させ、より思い出深いものとして心に残る。教師として母校に戻った私は、そのことを今十分に噛み締めている。

●よしだけんいち=1980年3月卒業・2期生。85年大学卒業と同時に母校に赴任し、91年まで6年間在職。元七高同窓会幹事。現在、鎌倉養護学校教諭